面倒で自信が無くて何でも「普通」としか返事しなかった私

自信をつける経験

私が長年身についてしまった癖のひとつに、
何か尋ねられたら「普通」と答えるというものがあります。

1)これ美味しい?
→んー、普通

2)こないだ見たあの映画どうだった?
→んー、普通

3)AとBならAの方がよくない?
→普通だと思う

1)2)はともかく3)の返事が「普通」てなんだよって感じですが、
私にとって「普通」は自然な答えだと思っていました。

何も答えになっていない

しかしある時、友人から「どういうところが普通なの?」と尋ねられたことがありました。
私は答えに詰まりました。
「普通」の中身を開けてみたら、中は空っぽだったんです。
つまり自分の意見が何も入っていない。
中庸な返事をしているようで、ただ当たり障りなくその場をかわしているだけだったのです。

面倒事から逃れるための「普通」

以前から、自分が何か決める事で他者にも影響を与えかねないような場面になると、嫌な気持ちになり面倒臭く感じることは自覚していました。
ある時ふと、その嫌な気持ちがもしかして「普通」という言葉に表れているんじゃないかと気づいたんです。

「これ美味しい?」と尋ねられて、もし「美味しい」と答えたら
これは美味しいもの=相手にも美味しいとおすすめすることになってしまう
→もし美味しくなかったら責任取れない
→自分が関与するのが怖い
→当たり障りない返事で自分への責任を回避しよう
_人人人人_
> 普通 <
 ̄Y^Y^Y^Y^ ̄

という仕組みになっているのではないかと。

どうしてこんな返事をするようになったのか

子供の頃から自分の考えを否定され親からの価値観を押し付けられてきた人間は、
自分の判断で物事を考えられず常に他人の価値観に従うようになります。
毒親のいる家で自己主張すれば毒親から否定されののしられ、嫌な思いをする。
それを回避するための便利ワードが「普通」でした。
思えば私は、家の中では毒親と極力会話せずに済むように、外の世界以上に「普通」を連発していました。
そして連発していくうちに、だんだんと自分が何を感じているのかわからなくなっていったのです。

自分の判断力に自信がなくなっていきます。
自信がないので他人とも必要以上に関わりたくない。
さらに「普通」連発。
THE負のループ!

私にとって「普通」は自信のない自分から目をそらし、相手とのコミュニケーションを回避するための言葉だったのです。

些細なことでも具体的な答えを言う習慣をつける

「普通」と答え続けていたらますます自分が何を考えているのかわからなくなってしまう…
そう思い、少しずつ具体的な答えを言う習慣をつけるようにしました。

1)これ美味しい?
→うん、甘すぎなくて美味しいよ

2)こないだ見たあの映画どうだった?
→クライマックスすごく格好良かったね

3)AとBならAの方がよくない?
→色味はAの方が良いけど、形はBの方が私は好きかな

…書き起こしてみればたったこれだけのことですが、
具体的に伝えることが私にとってまあまあハードルの高い事だと気づかされます。
そして、今まで「普通」でモヤモヤさせていた自分の考えがクリアになるような気がして、気分が良いのです。

気分が良いという気持ちは誰の価値観にも左右されない、自分だけの軸です。
これを持つ事がすごく大きいのだと思います。

自分だけの軸を持つきっかけをたくさん作ることで、自信につながる。
自信を持つと、相手とのコミュニケーションを持つ余裕も生まれます。
「普通」という言葉で懸命に積み上げていた心の壁が少しずつ溶けていく感じです。

自分が何を感じているのか・何を考えているのかを確かめ、自分自身で受け入れる作業。
肯定的な感情も否定的な感情もAll OKで感じ取ること。
それが安全基地をつくるためにとても大切なことだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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