毒親から離れたらこうなった【幸せになれるのか?】

毒親・アダルトチルドレン

こんにちは、ねこぽんです。

前回、10年間逃げたくても逃げられなかった実家を脱出し、毒親からようやく離れた時の話を書きました。
毒親と離れる方法【実体験を紹介】

毒親と離れることは、謎の生きづらさを抱え続けてきた自分にとって本当に大切な行動でした。

しかし、これでめでたしめでたし……ではありませんでした。
実家を出ることが生きづらさの解決ではなかったこと、本当に大事なのは何だったのか気づいた話を書こうと思います。

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毒親と離れた後、私の環境の変化

  • 毒親と物理的に離れ、自然と毒親に割く時間が減った
  • 自分のための時間・お金が格段に増えた
  • 心に余裕ができた

日常生活で自分の視界から毒親が消えたことで、毒親に費やす時間やお金、労力が圧倒的に減りました。
相当のストレスが減り、無駄にイライラすることが無くなりましたし、なにより自分の時間を自由に過ごせる喜びを感じることができました。

これでようやく自分も、人並みに生きることができる……
そう思っていた時期もありました。

毒親の呪いは深い。真の苦しみはここからだった

物理的に毒親と離れてそれはそれは快適だったのですが、今度は自分の頭の中に毒親が出てくるようになりました。

例えば、
・料理に失敗した私を母親が鼻で笑う
・新しい家具を買おうとしている私を父親が「高い。そんな金持ってるなら俺にくれ」とせびる

など、実際その場にいないはずの毒親が頭の中で干渉してきます。
長年、毒親に振り回され抑圧された生活を送ってきたため、自分の思考回路に毒親の言葉や考えが染み付いていたのです。

料理に失敗した自分が恥ずかしい。許せない。
自分のお金にも関わらず、高い買い物をしている自分に罪悪感。

思い通りにならない自分を責め、干渉してくる頭の中の毒親と口喧嘩をしていました。
部屋で一人ぶつぶつ言ってるわけですから、はたから見たら超ヤバイやつです。
自由に生活を送る自分を次第に許せなくなり、無気力、罪悪感にいつも苛まれていました。

毒親に対する考えの甘さ

もう一つ私が「失敗した」と思った出来事があります。

とりあえず急いで家を出たので、新居に最低限の荷物しか持って行かなかった私は、実家に置いてきた残りの荷物をたびたび取りに行っていました。

そのうち、「週に一度は必ず実家に行く」というパターンが毒親と自分との間で確立されてしまい、親に会いに行くという謎の義務感に追い詰められるようになってしまいました。

せっかく離れた実家にわざわざ訪れてしまった私も悪いのです。
「実家にいっても大丈夫だろう」と毒親に対して依存、甘えがあったのと、 一人になって心に余裕ができたことで 「一人暮らしをした私のことをわかってくれるだろう」「離れたことで良好な関係を作れるんじゃないか」という浅はかな期待を持ってしまったのかもしれません。

実家にいくと、母親が必ず
「来週もまた来るわよね」
「お母さん来週買い物にいくから、その時に○○買ってきてあげる」
など、勝手に私が毎週来ること前提で話が進められ、行かざるを得ない状況になるのです。

なぜ断れなかったのか

行きたくなければ断ればいいじゃないか、と思われるでしょうが、当時の私は以下のような考えに縛られていました。

「私は実家を出て自由になれたのだから、せめて親の希望を叶えてあげるべきだ」
「良かれと思って言ってくれているのだから、断ったら申し訳ない」
「親の言うことを断ったら面倒が起きる」

実家にいた頃と同じ思考!!!
そうなんです。
心の絶縁はまったく出来ていませんでした。

勇気を出して「来週は家に行くのやめておく」というと、
「なんで」「どうして」
「来ればいいじゃない、夕方からなら時間あるんでしょ」
「どうせご飯つくってないんでしょ(決めつけ)食べて行きなさい」
と引き留めの嵐。
私が「来週は用事あるから」と言っても、私の都合は聞いてくれません。

それに加え、私の帰り際には、毒親はさまざまな荷物を私に持たせようとします。
もう使わない服、私が滅多に食べないお菓子、雑貨、日用品。
何度も「要らない」「気持ちだけもらっとく」「自分が取りに来たものだけ持って帰る」と言っても私が引き取るまで永遠に言ってきます。

私が持って帰らないと話が終わらないので、渋々毒親の無理強いに応えて底の抜けそうなくらいパンパンに不要物が詰まった紙袋をもって帰らなければいけなくなり、そのせいで本来自分が持って帰りたかった荷物を持って帰れなかったこともありました。

彼らはとにかく私の意思を無視です。話を聞いてくれない悲しさ・腹立たしさが交錯します。
そして、罪悪感。

「こんなに気を遣ってくれて申し訳ない」「親を大切に思えない自分はなんて悪いんだ」と、
「本当は実家に行くの嫌」「不要な荷物は持って帰りたくない」「毎回毎回、自分の時間を潰して会いに行くのが辛い」の間で気が狂いそうになっていました。

何度断っても親に押し切られ、実家に行くたびに疲れ、家に帰っては「また来週行かないといけない」と泣いていました。

最終的にキレた

毎週の義務として実家に顔を出し、重たい荷物を持たされること。
またこの頃、他にも様々な家の面倒ごとが発生し、その度に毒親の協力や理解を得られなかったこと。
いろんな不都合が生じ我慢の限界が来て、親にブチ切れて自分で実家に行くことをやめました。

結局最後は怒りのパワーで毒親との関係を絶つことになりました。
後日、親からご機嫌伺いのメールや電話が来ましたが、さすがに無視です。
毎週実家に行く義務もようやく消えました。

逆を言えば、そのくらい感情任せにしなければ私自身の毒親に対する心理的依存は断ち切れなかったのだと、今となっては思います。
とても不器用だとまた自分で自分を責めてしまいました。

本当に大事なのは「心理的に」毒親と離れること、そして自分と向き合うことです。

この通り、実家から脱出しても、私はまったく毒親離れ出来ていなかったんですね。
家を出たはずなのに我慢や苦しみの連続でした。

言いたいことを言えない、毒親に押し切られストレスがたまる、罪悪感に押しつぶされる。

毒親から心理的に離れること、毒親の干渉を断ち切ることの苦しさをまざまざと実感しました。
そして、自分の考え方に何らかの歪みがあることに気がつきました。

実家を出て毒親から距離を置くことは、きっかけとして確かに大事です。
物理的に離れたこと・関わりをなくしたことで、毒親の存在は日々小さくなっていきますが、一方で毒親との長年の暮らしで身についた考え方の癖、物事の受け止め方の歪みは今でも自分の中にがっつり根付いています。

これらを解消しなければ、本当に「毒親から離れた」とは言えないのだろうと思います。
毒親と物理的に離れた後は、自分の考え方の歪みと向き合い、改善を目指す。
これは今でも、生きづらさをなくすための私の課題となっています。

この課題に気づけたことが、毒親と離れた一番大きな出来事でした。
今まで「毒親との関わりを何とかする」という考え方だったのが、「自分の考え方を何とかする」にシフトできたのです。

毒親主体の人生から、自分主体の人生を考える。
今でも考え方の癖や歪みは直ってないですし現在進行形でめちゃくちゃ重たい課題ですが、私にとってとても大きな一歩となりました。

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▼本記事の前の話。10年間なかなか離れられなかった毒親からついに離れた時の経験談です。実家脱出にかかったお金や具体的な流れ、離れられなかった時期に何をしていたのか?なども紹介しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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